[台湾巡礼]進香とは
台湾で有名なお祭りと言えば、大規模イベントが集中する元宵節におこなわれる台灣燈會や平溪天燈節、鹽水蜂炮、臺東炮炸寒單爺、鹿耳門搶春牛&高空煙火秀、さらには中元節の雞籠中元祭などがありますが、私は毎年数十万人を熱狂させる大甲、白沙屯の徒歩進香こそが、台湾で最も盛り上がるイベントだと考えています。
特に大甲では、多くの参加者がウォーキングイベントとして歩いています。しかし決してウォーキング大会のように単調ではなく、その何倍も何十倍も楽しいイベントであること請け合いです。
徒歩進香を知る第一歩として「進香」と、それと関わりの深い「遶境」の基礎知識を解説します。 ともに台湾文化を代表する伝統的な宗教イベントです。このブログでは堅苦しさを避けるため、行事ではなくイベントと呼ぶことにしています。
当ブログでは、台湾全土を熱狂させる〈徒歩進香〉イベントの概要や参加の方法、実際に歩いたレポートを紹介しています。
[Contents]
進香と遶境
日本語に訳すと以下の通りです。
進香(ジンシアン)=「巡礼」
遶境(ラオジン) =「巡行」
「巡礼」と聞けば、世界各国のさまざまな巡礼が思い浮かぶでしょう。
キリスト教のエルサレム巡礼やサンティアゴ・デ・コンポステーラ、イスラム教のハッジ(メッカ巡礼)、ヒンドゥー教のヴァラナシ、仏教のルンビニやブッダガヤ、日本においてはお伊勢参り(お蔭参り)や四国遍路、熊野古道...
そして台湾道教における巡礼が「進香」になります。中でも一番の聖地は、中国福建省湄洲島にある「湄洲媽祖祖廟」であり、毎年多くの人が飛行機や船を乗り継ぎこの地を訪れています。
※ 湄洲媽祖祖廟についてはこちらへ ※
「巡行」の意味を辞書で引くと、[神輿や行列が一定のコースを順に回ること]とあります。あまり馴染みのない言葉ですが、台湾道教における巡行が「遶境」です。それではまず「遶境」から、どのようなイベントなのかについて見ていきましょう。
遶境(巡行)とは
台湾を旅行していると、街中を進む神輿や派手に飾られた車の列、楽器を演奏したり旗などを手に歩く人たちの行列を見かけたことがあるかもしれません。
それは道教のお祭り「遶境」と呼ばれるもので、日本でいうところの神輿や山車が街を練り歩く、例えば京都祇園祭のようなイメージです。
神様の誕生日や記念日などのお祝いとして、神輿や陣頭(踊りや音楽などを行うグループ)の行列が廟のある地域一帯を練り歩きます。神様が管轄地域を巡視することで地域の平安を守り、住民たちは家先で擺香案(お供え物を並べ、金紙を燃やし、線香を手に拝む)をしながら、神様のご加護を祈ります。
神様や地域によってさまざまな特色があり、それが台湾の人たちの娯楽の一つでもあるんですね。主催廟とつながりのある他地域の廟(友好廟)から応援が駆けつけたりすると、その規模もどんどん大きくなります。進香(巡礼)から戻って来た後、周辺地域を遶境(巡行)するケースもよく見られます。
また遶境は、出巡や遊境、遊庄、巡庄、巡境と呼ばれることもあります。
暗訪と呼ばれるケースでは、玉皇大帝からの指令を受けた王爺などの神様が夜間に巡行することで疫病や悪霊を駆逐します。城隍爺の場合には、なにか良くないことが起きていないか市中を巡視して回ります。
遶境では、神様の前でダンスを披露する「辣妹」(ラーメイ)と呼ばれるセクシーなダンサーたちも見どころの一つです。以前はかなり過激だったという話も聞きますが、近頃では露出も抑えめになっています。
これまでさまざまなイベントで数多くの辣妹を見てきましたが、一番印象に残っているのは、財神を祀る草屯敦和宮の遶境で見かけた辣妹たちです。
もっと辣妹を見たいという方は、Youtubeやニコニコ動画にたくさんの辣妹動画がUPされていますので、そちらをご覧ください。
台灣歌舞辣妹秀 - YouTube : CX - niconico(ニコニコ)
遶境は主催廟や友好廟の信者たち、さらには走路工や紅陣頭と呼ばれるアルバイトによって構成されるため、一部の大規模イベントを除き、一般の参加者が一緒に歩くことはあまりないと言っていいでしょう。
ただ中には上記案内のように、一般参加者を募るケースがまれに存在します。他にもボランティアメンバー募集がかかることもあり、それは廟に貼り出される募集案内やFB(フェイスブック)上の告知、LINEグループなどで流れてくる情報により知ることができます。
遶境の中には河や水路に入って行われたり、遶境に分類されるか定かではないですが、神様と共に玉山登山をするイベントも存在します。
引水迎財跑水祭 二水古圳人神同歡 │中視新聞
神蹟頻傳!登山隊背太平媽登玉山|三立新聞台
しかし申込をしなくとも、遶境の行列に飛び込んで邪魔にならないように後ろをついて歩くことは、基本的に問題ありません。私もこれまで数多くの遶境行列について歩いてきました。
もし長時間行列について歩きたい場合は、廟の方に帽子をもらえないか聞いてみてください。帽子をかぶるだけで、隊列に溶け込むことができます。帽子は余っていれば、基本無料でもらうことができますが、その際はお賽銭箱に100元程度入れるといいでしょう。
遶境では女性の参加者が多い傾向にあります。昔から男性は農作業などの主力であったため時間の捻出が難しく、家族の平安を祈る重要な役割は主に女性が担っていたのだと思います。
有名な遶境イベント
遶境の中で一番有名なものが、改めて紹介する雲林県に位置する「北港朝天宮(北港媽祖)」の遶境です。ただし北港媽祖の場合は一般的な遶境とは一線を画し、陣頭がほとんどなく、爆竹祭りとしてその名を馳せています。
これまで数多くの遶境について歩き、また何度かメンバーの一員としても参加してきました。しかしさまざまな要因から、進香ほど強い興味が湧いてこないというのが正直なところです。 最近では近くから遶境の爆竹の音が聞こえてきても、だらだらと続く陣頭に興味がわかず、見に行くことさえしなくなりました。
ただこの北港媽祖の遶境だけは別格と言ってもいいでしょう。爆竹祭としても名高く、ほかに数多ある遶境とは全く異なるイベントになっています。
その盛大さ、評判の高さ、そして神輿とともに周辺の村々を歩いて巡れることから、北港朝天宮天上聖母遶境もこのブログで紹介することにしました。
いまでは遶境が名を馳せる北港朝天宮も、かつて信者らは中国の湄洲島まで進香へ行っていました。また17世紀から18世紀初頭にかけて、大火により媽祖像を失った臺南大天后宮に請われ、台南まで進香(および現地での遶境)に向かい、その際には数万人にのぼる信者がともに歩いたと伝えられています。現在でも臺南大天后宮で行われる「府城迎媽祖」という遶境イベントで、その名残を見ることができます。
ほかに有名な遶境は、同じく中部雲林県で開催される「六房媽過爐」です。特定の廟を持たず、毎年新しい紅壇が建てられ、年一回神様の引っ越しが行われます。そして引っ越しの際、神輿が新しい紅壇の周辺地域を巡行します。
七体の神像が三基の神輿に分かれ鎮座し、多くの信者たちを引き連れ、新しい管轄地域の狭い路地の住宅街さえも細かく巡行していきます。付き添い歩く随香客の想像以上の多さに、六房媽の人気の高さがうかがえました。
六房媽過爐では、「過爐」(爐主が交代する儀式)と「遶境」がセットで行われます。
南部では、三年に一度行われ、王爺信仰における焼王船で名高い「東港迎王」や「西港刈香」があります。刈香とは台南で大規模な遶境を意味します。焼王船は「建醮(王醮)」という儀式になり、遶境とセットで行われています。(画像はyoutubeから)
嘉義県に位置する新港奉天宮でも、元宵節に200年以上の歴史を誇る遶境が8日間にわたり開催されます。
※ 建醮についてはこちらへ ※
また北部となると、大衆爺の生誕を祝う「新莊大拜拜」や持ち回りで開催されている「北台灣媽祖文化節」などが有名です。大衆爺は本来陰神という存在ですが、新莊大拜拜のケースでは、陰神から正神に昇格しています。(画像はyoutubeから)
※ 陰神についてはこちらへ ※
先にも書きましたが、一般的な遶境では、外部の人たちは見物はしても参加することは少ないでしょう。しかし北港媽祖や六房媽、東港迎王などの大規模遶境となると、多くの随香客が神輿に付き添い、遶境行列とともに歩いています。
機会があれば、みなさんもぜひ歩いてみてください。
進香(巡礼)とは
「進香」とは、言ってみれば神様の里帰りです。神様とともに遠く離れた祖廟まで往復します。
イメージとしては、神輿とともに行うお伊勢参りのような感じでしょうか。集団で玉造を出発し、伊勢神宮をお参りして、また戻ってくるような感じの宗教イベントです。
台湾にある道教の廟は、古く歴史ある廟から「分霊」され各地に建立されています。北港朝天宮(媽祖)や南鯤鯓代天府(王爺)などの有名な廟になると、その数は数千にものぼります。そこで毎年神様の誕生日の前後には、盛大にお祝いの里帰り巡礼が行われ、この期間は進香期と呼ばれます。
想像してみてください、数千もの分霊された子どもたち(?)が一斉に里帰りをするわけですから、誕生日前後に分散されるとしても、それはものすごいことになるんですね。
※ 進香期についてはこちらへ ※
分霊は、かつては祖廟の香灰を持ち帰り、自廟の香炉の中に混ぜる行為により行われていました。現在では占いを通して神様に分霊の可否を尋ねた後、開光された神像を祖廟の香火の煙にくぐらせる分霊の儀式を執り行います。
南投県にある松柏嶺受天宮は山の上に位置していますが、玄天大帝の誕生日前後の進香期には、途切れることのない進香団でそれはえらくにぎやかになります。
なかでも、日本語ではタンキーと呼ばれる「乩童」(ジートン)は有名です。乩童は神様が乗り移る特別な存在であり、自ら身体を傷つけることでそのことを証明します。そのため、この時期の受天宮には血だらけの乩童がたくさんいますので、心臓の弱い方は避けた方がいいかもしれません。
[乩童(血まみれ)] https://t.co/Or1qZ5KgBB ※ご注意ください
進香の99%以上は、廟がチャーターした観光バスや車に乗って行われます。進香参加者の中には老人も多く、距離もあり、それも当然ですよね。道中大きな廟や友好廟に立ち寄りながら、祖廟を目指します。世界的に見ると巡礼は、個人や少人数で行われることが多いのですが、道教の場合は集団で行われる傾向にあります。
神輿や陣頭の道具などはトラックで運ばれ、駐車場やその付近から廟までの間、おおよそ数百メートルを神輿や陣頭が練り歩きます。神輿がないケースでは、神像が信者らとともにバスに乗り移動します。
中には途中で観光地に寄ったりするケースもあるなど、廟に関わる人たちの慰安旅行の意味合いもあるのかもしれません。娯楽の少なかった時代、台湾の進香も、日本のお伊勢参りや善光寺参り、富士講などと同様に、旅に出かける非常に貴重な機会でした。その文化がいまでも引き継がれ、宗教行事としての意味合いと娯楽としての要素が深く混ざりあっています。
しかし中には気合が入った、昔ながらに神輿を担ぎ歩いて里帰りを行う廟がわずかに存在しています。それも何百kmも!
それが【 徒歩進香 】と呼ばれるものです。
台湾において二百年以上の歴史がある宗教イベントであり、ここ二十年で徒歩による進香を行う廟も増えてきました。二百年前と言えば、日本は江戸時代後期であり、伊能忠敬が地図作りに日本全国を歩いていた頃でしょうか。
徒歩進香は「媽祖(天上聖母)」(海の女神)信仰を中心に行われていますが、王爺や玄天上帝、保生大帝、中壇元帥、廣澤尊王といった他の神様でも見ることができます。
特に旧暦3月23日の媽祖の誕生日前後は「迎媽祖」と称され、台湾全土を熱狂の渦に巻きこみます。近年では「三月瘋媽祖」(旧暦3月人々は媽祖のイベントに熱狂する)と呼ばれることも多くなっています。
現在徒歩進香は、数十万人が参加し長い歴史を有する大甲、白沙屯の二大徒歩進香を筆頭に、台湾全土でおそらく数十から百近くの小中規模徒歩進香が行われています。
徒歩進香にも、完全徒歩の進香とあまり多くはありませんが所々歩く部分徒歩進香があります。このブログでは全行程徒歩を前提とした完全徒歩進香を紹介しています。
ただ完全徒歩とはいっても、参加者の多くは途中、私はドナドナと呼んでいる「服務車」や「香客車」といった車に乗り、疲れを調整しながら歩き続けます。
また徒歩進香の中には、神輿や陣頭が途中車でワープするものや、その日の目的地となる廟(駐駕地)に到着後、車で宿泊先まで移動し、翌朝再び車で戻ってくるものもあります。
進香の目的
進香の主な目的は、定期的に祖廟(分霊元)に帰ることで、神様としての力を補充することです。その儀式は、神像を祖廟の香火の煙の中へくぐらせることにより執り行われます。
また特別な力を持つ香火(香炉の灰や火のついた炭など)を香擔に入れて持ち帰り、自廟の香炉に混ぜます。そうすることで、祖廟にあやかり、より霊験あらたかに、より多くの参拝客で賑わうよう祈りを込めます。これは祖廟で行われる「交香(交火、刈香、刈火)」、そして自廟に戻った後行われる「合爐」という儀式に分かれます。
ほかにも、神様の兵士である「兵将」の派遣をお願いしたり、祖廟への現状報告が行われます。
また廟や信者間、さらには神様同士の交流といった意味合いもあります。それほど多くはありませんが、祖廟ではない廟に進香団が向かう場合は、この定期交流や信者間の結束強化などが主な目的になるのでしょう。
ただいずれの場合も、大前提にあるのは神様の生誕御祝いです。
長い歴史を持つ廟の多くは、中国から分霊されています。当時より一部の廟は海を渡り、遥か彼方にある中国の祖廟まで進香に行っていました。
しかし昔は、中国に船で渡るには危険が伴い、また村人たちは貧しく費用を捻出できなかったことから、その代わりとしてより歴史のある台湾本島内のほかの廟に向かうこととなったケースも存在します。
私の知る限り、祖廟以外に向かう徒歩進香は4つしかありません。車で行われる進香については定かではありませんが、交通が発達した現代、かなり少ないと考えていいでしょう。ただ一部の進香は、より多くの信者を抱える廟に行き、その繁栄にあやかるという目的で行われることもあります。
どこからも分霊されていないケースなどでも、同様に有名な廟に行くのかもしれません。また一部の大きな廟では靈山派による「走靈山」も行われています。集団霊動などの光景が見られるかもしれませんが、ここで言う進香と同一のものとは考えないほうがいいでしょう。
より目的を明確化するために、進香の代わりに謁祖や刈香、會香、參香、巡香といった名称を使用することもあります。「謁祖」は祖廟の神様に謁見すること、「刈香」は祖廟に帰り香炉の灰を香擔にいれ持ち帰ることを意味しています。(台南の刈香とは意味が異なります)
進香という言葉にも、小さな廟が大きな廟を訪れるという意味が含まれますが、最近ではそれも薄まりつつあるようです。
進香 : 祖廟に帰り神様の力を補充する。もしくは友好廟を訪れ神様、信者が交流する。
謁祖 : 祖廟に帰り神様の力を補充する。
刈香 : 祖廟の香炉の灰を持ち帰る。もしくは謁祖と同じ。
會香 : 進香と同じ。ただし友好廟を訪れる意味合いが強い。
巡香 : 大きな廟が小さな廟の状況を見回る。
遶境 : 廟の管轄地域を神様が巡視する。
過爐 : 爐主が交代する。
進香から戻ってきた後、神像は強い霊力を発散しています。そこで地域を遶境し、その力を地元信者らに分け与えます。非常に強い霊力の場合には、進香後数日間廟を封じるケースもあります。白沙屯媽祖でも進香後十二日目にようやく媽祖像の前を覆った幕が開けられます。なぜ十二日目なのか調べたところ、どうやら霊力が媽祖像に浸透するための時間のようです。
神輿に付き添い共に歩く信者たちは随香客と呼ばれます。一部の随香客は、火のついた線香を手に歩き続けます。彼らはその信仰心から神様に寄り添い歩き、それにより神様のご加護を得ることを目的としています。
さらに、長丁場の進香全行程を歩き通す随香客の中には、神様にお願いしたことが実現し、それに対する御礼という意味合いで歩いているケースもあるようです。
また随香客は、ルート上でお葬式などが行われていた場合、その前に立ちはだかり覆い隠すことで、神輿が良くない気の流れに触れることのないようにする役目を負うこともあります。その際は死者や遺族に敬意を払い、進香団の銅鑼や音楽などは止められます。
まとめると...
簡単にまとめると、遶境・進香とは次のようになります。
◆遶境 : 神様の記念日を祝い、廟のある地域周辺を神輿や陣頭が練り歩く。(信者が多い廟になると、少し離れた地域で行うこともあります)
◆進香 : 神様の里帰りとして、観光バスや車に乗り、遠く離れた祖廟まで往復する。(駐車場から廟までの間を神輿や陣頭が練り歩きます)
◆徒歩進香 : 徒歩で行われる進香。(完全徒歩進香でも、希望者は途中服務車に乗ることができます)
二大徒歩進香
台湾で三大遶境・進香と言えば、
三月迎媽祖を代表するこの3つになるかと思います。
東港迎王は有名なものの三年に一度の開催であり、かつ中心は遶境ではなく焼王船の建醮(王醮)です。鹽水蜂炮も遶境に入るとは思いますが、ロケット花火がメインになり、鷄籠中元祭は遶境こそあっても、やはり中元普渡が中心です。
上記3つの中で徒歩進香にあたるものは、
【大甲鎮瀾宮天上聖母遶境進香】
です。
もはや徒歩進香界の二大巨頭と言ってもいいでしょう。毎年数十万人が参加し、他の徒歩進香イベントの追随を許さない勢いです。現在数多くの徒歩進香イベントが開催されていますが、外部からの参加者が多い大規模徒歩進香は、この二つだけです。
ほかの中規模徒歩進香では、廟の関係者やその信者、地元住民たちを中心に構成され、随香客はだいたい数十~数百、多くてものべ数千人規模です。
〇一般的な呼称について
それにしても、それぞれの名称が長く舌を噛みそうです。そこで一般にニュースなどでもよく使われる略称は以下の通りです。
● 大甲媽祖遶境
● 白沙屯媽祖進香
● 北港媽祖遶境
大甲媽祖遶境と呼ぶことが一般的ですが、このブログではわかりやすさを考え、大甲媽祖遶境進香と進香までつけて呼ぶことにしました。なぜなら、このイベントは遶境ではなく進香イベントであるためです。ただ台湾人でも、遶境と進香の区別がついていない人が多いのが現実です。
進香や遶境をつけずに、「大甲媽祖に参加するよ!」「白沙屯媽祖を歩いたよ!」だけでも十分通じます。さらに言えば、「大甲を歩く」「白沙屯に参加する」でも問題ないでしょう。私もよくこのように呼んでいます。この二つのイベントは、そこまで台湾社会に深く浸透しているのです。
このブログでも上記の呼称を使用してまいります。
〇遶境か、それとも進香か
大甲媽祖は進香なのに、なぜ遶境と呼ばれるの? と思われるかもしれません。これにはいろいろ複雑な歴史的事情がありますので、まああまり気にしないでください。興味がある人は、大甲媽祖遶境進香の目的地が北港朝天宮から新港奉天宮に変更となったいきさつを調べてみるといいでしょう。大甲媽祖も元々は『大甲鎮瀾宮天上聖母遶境進香』ではなく、『大甲鎮瀾宮天上聖母北港進香』という名称でした。
参考:http://think.folklore.tw/posts/2305
大甲鎮瀾宮の管轄地域は、厳密に言えば大甲五十三庄になり、さらに広く見たとしても、台中市エリアぐらいになるでしょう。その地域で行われるものが、本来の意味での遶境だと考えられます。ほかの地域、例えば台北や高雄などで行われる場合は、地元にある友好廟に協力する形となり贊境と呼ばれます。
大甲媽祖以外にも、明らかに進香イベントなのに遶境という名称を使っているところがあります。目的地が祖廟ではなかったり、さまざまな歴史的背景により、一概に分類することは難しいのかもしれません。もともとは祖廟に向かっていたものの、遠いという理由により手前で折り返してくることになったイベントもあります。
そこで下記のように理解しても大きな問題はないでしょう。
・遠くまで行って帰ってくる ➡ 進香
・特定の地域を練り歩く ➡ 遶境
〇最古の徒歩進香
ちなみに台湾最古の歴史を誇る徒歩進香は、彰化南瑤宮笨港進香(彰化市)です。
200年以上の歴史があり、日本統治時代には10万人を超える参加者が歩いたと言われるイベントですが、途中五十年の中断期間を経て、数年前に復活しました。
そのため、実際はまだまだこれからの部分が大きい官制新興徒歩進香です。
※ 南瑤宮苯港進香の詳細はこちらへ ※
国指定 重要無形民俗文化遺産
台湾文化部が指定する無形民俗文化遺産の中で、最も上位にあたる重要無形民俗文化遺産とされるものが18あります。その中で遶境・進香にかかわるものが10を占め、その内道教が8、仏教が2になります。これを見ただけでも、台湾文化において遶境・進香がいかに重要な地位を占めているかが分かると思います。
≪無形文化資産 重要民俗 (道教) ≫
西港刈香[遶境/建醮]王爺 台南市
大甲媽祖遶境進香[進香]媽祖 台中市
白沙屯媽祖進香[進香]媽祖 苗栗県
東港迎王[遶境/建醮]王爺 屏東県
南鯤鯓代天府進香期[進香]王爺 台南市
金門迎城隍[遶境]城隍爺 金門県
六房媽過爐[遶境/過爐]媽祖 雲林県
ちなみに仏教に関するものは、観音菩薩信仰の以下の2つです。
この2つのイベントについては、[仏教進香・遶境レポート]にて紹介しています。ただ当ブログではこの2つのイベントを仏教に分類してはいますが、台湾の知り合いに言わせると道教のイベントに入るそうです。
※ 仏教進香・遶境レポートはこちらへ ※
台湾では道教と仏教、さらには民間信仰が深く混ざり合わさっているため、厳密に分類するのは難しく、特に観音菩薩はかなり曖昧な存在となっています。
道教、仏教以外には、少数民族のお祭りなどが指定されています。
もう一度歩きたいイベント四選
数多くの進香、遶境を歩いて来た筆者が厳選するおススメのイベントを4つご紹介します。
《大甲媽祖遶境進香》
言わずと知れた徒歩進香を代表するイベント。数十万人が参加する。進香途上で味わうことのできる台湾の人々の人情味が心をうつ。ウォーキングイベントとして参加する人も多い。
《白沙屯媽祖進香》
大甲媽祖と並び称される、伝統を守り続ける人気の徒歩進香イベント。二十万人以上が参加する。ルートが決まっていないため、その難易度は高い。特に「急行軍」の年はリタイア必至である。
《龍結媽徒歩進香》
小規模ながら心温まる徒歩進香イベント。定まったルートはなく、神輿は道なき道を突き進む。進香途上において、その地に棲みつく「好兄弟」(怨霊)を捉え、地域の平安を守っている。
《羅漢門迎佛祖》
観音菩薩(仏教)の遶境イベント。4日間かけて神輿が周辺地域を巡る。内門地区に残る伝統と敬虔な信仰心に心を打たれる。芸術的武芸の陣頭「宋江陣」も見どころの一つ。田舎ののどかな風景を楽しみながら、村々では昔と変わらぬ素朴な人情味にふれることができる。
最後に
このブログでは、廟や行事の歴史についてはあまり触れていません。触れていたとしても語尾は濁しています。なぜなら廟や進香を研究する、特にその歴史を探る上で、必ずと言っていいほど史料の正確性という壁にぶつかります。
廟に関する古い史料はほとんど残されておらず、多くは口伝となり、それが後日資料として文書化されています。そのため、歴史が都合よく書き換えられているケースもままあります。
また資料によって書かれている内容が違い、廟のオフィシャルの説明とも異なったりします。さらに言えば、そのオフィシャルが正確とも限りません。そこで廟や宗教行事の歴史や起源などについては、さらっと理解してあまり深く考えないほうがいいでしょう。
それでもより深く道教行事を突きつめたい方は、中国語が理解できれば「全國宗教資訊網」や「民俗亂彈」、「保庇NOW」などのサイトが参考になると思います。これらサイトでは進香についてもより深い解説がなされています。一部進香に関する部分を翻訳してここに掲載しようかとも考えていましたが、そこまでのニーズはないだろうと考えなおしました。
全國宗教資訊網 : 民俗亂彈 – 臺灣民俗大小事 : 好神好保庇
日本語で読めるサイトとなると「台湾宗教百景」が有名です。
ほかにも片岡巌著「臺灣風俗誌」の日本語復刻版が販売されています。媽祖信仰や台湾道教に関する書籍はいろいろ出版されていますが、古ければ古いほど、真実に近い情報に触れることができると思います。
また下記リンクように日本にも進香の研究をしている方がいらっしゃるので、文献などを探してみてください。
http://henro.ll.ehime-u.ac.jp/
このブログでは、みなさんも気軽に参加できる大甲媽祖と白沙屯媽祖の二大徒歩進香を中心に、その概要や参加の方法、実際に参加した際の状況を詳しく紹介してまいります。
近年は徒歩だけではなく、大きく有名な廟、例えば北港朝天宮、新港奉天宮、大甲鎮瀾宮、西螺福興宮などにおいて、自転車ロングライドやマラソンのイベントを企画するところも増えてきています。興味がある方は、異国でのイベントにぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
私は若い頃、四国遍路を野宿しながら通し打ちしたことがあります。四国遍路では同行二人と言われるように、お大師様の化身である杖とともに1,300kmを歩きます。つまり集団ではなく個人で行われる巡礼です。山深い遍路道も、真っ暗なトンネルも、バス停での野宿も、常に孤独との戦いです。熊野古道と同様に、厳しい修行の道を一人黙々と歩き続けます。まさに孤独な修行の道です。
その点大甲や白沙屯といった徒歩進香では、山の中を歩くことはありません。主に街中や田舎道を集団で歩きます。しかしその分修行というだけではなく、お祭り的要素もふんだんに含んだ楽しいイベントになっています。
また全行程を歩く必要はなく、1日のみや数時間だけの参加でもかまいません。さらに大勢の人達と歩くことで、いろいろな出会いがあり、また地域住民の方々と触れ合う機会も多分にあります。
たとえ一人で歩いたとしても、道の前後には志を同じくした大勢の仲間が歩いており、路上では多くの人たちが私たちを待ち構え力を与えてくれます。
こういった点からも、だれでも、旅行者でも、気軽に参加できる巡礼イベントであると言っていいでしょう。
※ 大甲媽祖遶境進香レポート ※
※ 白沙屯媽祖進香レポート ※
※ 南鯤鯓代天府進香期についてはこちらへ ※
[Top page]