[道教寺院]陰廟とは
旅先で道教の廟を見かけ、ふと立ち寄りお参りする。
おそらく皆さんもこんな経験をされたことがあるかと思います。
でもそれ、本当に大丈夫なのでしょうか?
[目次]
- 陽廟と陰廟
- なぜ怨霊を?
- 有名な陰廟
- 陰廟でのタブー
- 陰廟の見分け方
- 小さな祠について
- 陰廟のお参り
- お供えする金紙について
- 陰神からの昇格
- 陰廟と間違えられやすい廟〔一〕
- 陰廟と間違えられやすい廟〔二〕
- 陰廟と間違えられやすい廟〔三〕
- 鬼月について
- 日本では?
- 無縁仏信仰について
- 最後に
陽廟と陰廟
台湾の廟には、公廟・私廟以外にさらに重要な分類が存在します。それが陽廟と陰廟です。
※西螺福興宮(陽廟)
皆さんが日ごろ見かける廟のほとんどは陽廟です。ただもしかすると、気づかずに陰廟をお参りしていたかもしれません。陰廟はむやみにお参りに行ってはいけないと言われています。
それでは陰廟とは一体どのようなところなのでしょうか。
※萬年祠(百姓公)廟(陰廟)
陽廟は当然ですが神様を祀っています。しかし陰廟では、なんと怨霊を祭っているのです。祭られている怨霊には、有應公、萬善公、百姓公、大衆爺、姑娘廟の女鬼などが存在します。
ではなぜ怨霊が祭られることになったのでしょうか。
なぜ怨霊を?
台湾の民間信仰において、怨霊は神様と人間の間に位置付けられ、人としての性質を有し、意志や感情を持っていると信じられています。さらに誰からも祭られない怨霊は人間に危害をもたらすと考えられており、人々は災いを取り除くために怨霊を祭りはじめました。
のちに怨霊を祭る廟をお参りすると、ある特定の物事において非常に効果があるとされ、多くの人がお参りに訪れるようになりました。さらには親しみをこめて、好兄弟(仲間、相棒)と呼ばれたりもしています。
それでは怨霊伝説について、いくつか見ていきましょう。
林投姐は台南に伝わる伝説です。その内容はいくつか種類があるようなのですが、海に出たきり帰ってこなかった夫の帰りを待ち続け、泣きながら死んでいった女性の怨霊だと言われています。村人たちは彼女の怨念を鎮めるために、廟を建てお参りするようになりました。 ただし林投姐の廟はすでに取り壊されており、現在はその跡地の確認も困難になっています。
大衆爺廟は、戦乱や疫病で亡くなり放置された死骸を、村に災いが及ぶことを恐れた村人たちが祠を作って葬り、お供え物を供えるようになったことが始まりと言われています。
有應公(萬善公、百姓公)廟では、誰からも祭られることのないさまよう怨霊を祭っています。 有應公は好兄弟の中でもリーダー的存在です。
かつて未婚や幼くして亡くなった女性は怨霊になると考えられ、姑娘廟に祭られました。姑娘廟では特定の個人が祭られているケースが多く、主に女性の方が参拝するそうです。写真の廟では、日本軍に殺された少女の霊を祭っています。
他にも水辺に流れ着いた死体の霊である水流公がおり、また義民廟では国の為に戦い亡くなった身元のわからない死者の霊を祭っています。
このように特定の人物の霊が祭られている陰廟と、不特定多数の無縁仏が祭られている陰廟があります。特定の人物の場合は、無実の罪で処刑されたり、事件や事故に巻き込まれて亡くなったなどのようなケースがあります。
また昔は、女性が幼くして、もしくは未婚のまま亡くなった場合も怨霊になると信じられていました。
有名な陰廟
Webサイトに挙げられていた代表的な陰廟をいくつかご紹介します。
※苗栗造橋龍湖宮
・苗栗龍湖宮 水子の霊を祭る
・基隆老大公廟 戦乱で亡くなった怨霊を祭る廟
・新北土城大墓公 金運や刑事案件の解決に効力を発揮
・新北石碇姑娘廟 女性が恋愛運のために参拝
・新北石門十八王公廟 金運やくじ運UP
・嘉義大林大眾爺公廟 病気治癒
・大里杙七将軍廟 探し物がある時に行くとよい
・南投集集大眾爺廟 日本軍と関係あり。樹齢七百年のクスノキが有名
・台南五妃廟 夫婦、カップルが忠節を祈る
・高雄苓雅聖公媽廟 夜の世界で働く女性に特に効果あり
・屏東烏龍大聖公媽廟 夫と浮気相手を断ち切らせる
[参考HP]
陰廟でのタブー
それでは陰廟での注意点には、具体的にどのようなものがあるのでしょうか。
1.用もないのにむやみに参拝しない。もし参拝した時は、不浄なものを家に持ち帰る可能性を忘れてはならない。
2.まず参拝する陰廟の性質、タブーについてあらかじめ確認する。一部の陰廟はカップルで訪れてはいけない。また家庭円満をお祈りしてはいけない陰廟も存在する。
3.正月に陰廟を参拝してはいけない。何かに憑りつかれる可能性がある。
4.男性は陰廟で女運を願ってはならない。
5.陰廟への御礼参りについてしっかり理解する。願いが叶った際は、必ず霊に御礼参りをしなければならない。
とにかくこの「御礼参り」という行為が、陰廟では非常に重要となります。
陰廟の見分け方
廟の内部に光が入らず、薄暗くなっているのが陰廟であると言われていますが、実際薄暗い陽廟も多数存在しています。また門神がおらず、建物の造りとして扉がなかったり、屋根の部分や窓、階段などに違いがあるようですが、いずれにしろ慣れないうちは、その判別は簡単ではありません。
このように光が差し込む、明るい陰廟も存在しています。
神像ではなく、このような石碑が祭られている場合は、陰廟である可能性が高いでしょう。ちなみに石碑の後ろには、身寄りのない死者たちの骨壺が収められています。
ただ神像がないとしても、まれに土地公廟などでも石碑が祀られています。また孔子廟や書院では、写真のように位牌(字牌)が祀られており、聖父母殿でも同様に位牌が祀られています。
反対に神像が祀られていたとしても、それが陽廟であるとは限りません。陰神にも神像が存在します。
このように「有求必應」(願いがあれば必ず聞き届ける)という言葉があれば、ほぼ陰廟だと思って間違いないでしょう。
他には「宮」や「廟」ではなく、「祠」という漢字が名前に使われている場合も注意が必要です。「萬善」「有應」「百姓」「大衆」が廟名にある場合も、よく確認した方がいいでしょう。
写真の廟は入口に「大衆祠」とあり、明らかな陰廟のように見えますが、ここは陰廟ではないと考えられます。なぜなら廟の前に「天公爐」が見えるからです。陰廟にはこの「天公爐」がありません。ただ陽廟の中にも、「天公爐」がないところがたまに存在します。
この廟について調べてみたところ、もともとは百姓公の小廟(陰廟)であったが、のちに大きな廟へと建て替えが行われ、その際に地藏王菩薩を迎え入れたようです。
小さな祠について
陰廟には一般的な廟のような建物だけではなく、小さな祠が数多く存在しています。道端でそのような祠を見かけても決してお参りをしないことです。特に河辺や山の中などに多く分布しています。
この祠のように土地公とともに陰神が祭られているケースもあり、注意が必要です。一見普通の土地公の祠に見えても、よく確認したほうがいいでしょう。
そうした祠をむやみにお参りすることで、良くないものを連れて帰らぬよう注意してください。
この祠では地基主が祭られています。地基主についてはいろいろな説があるようですが、土地公よりもより狭い範囲に根付いた、誰からも祭られない怨霊だと言われています。
家を建てる時や端午節、中秋節などの祭日には、その土地に憑く地基主にお祈りをします。たいていは家の敷地内にあるため、祠を見かけるケースは少ないかもしれません。
日が落ちてくると、陰廟の祠はより一層不気味さが増します。
いろいろな地域で陰廟の祠を見かけましたが、近寄ることさえ少しためらうようなものは、特に金門島に多く分布していたように思います。
いずれにしろ、道端の祠などは見かけても素通りした方が賢明です。
道沿いで見かける祠や小廟の多くは五營將軍のものであり、お参りしても問題ありません。ただよく分からないうちは、やはり避けた方がいいでしょう。「見廟就拜」(廟を見たら何でもお参りする)で数多くの陰廟をお参りしてきた私でも、さすがに祠は警戒します。
陰廟のお参り
お参り時の作法については、陽廟と特に変わりはありません。ただ使用する金紙やお供え物が陽廟とは異なります。お供え物は果物などよりも、調理済みの食品や肉料理を好むようです。金紙については、下の方で詳しく説明します。
台湾では日本とは違い、お供えしたものは必ず自ら持ち帰らなければいけません。通常は持ち帰った後自分たちで食べますが、中には困っている人たちにあげる方もいます。私は買い物帰りに、買ってきたものをそのままお供えしたりすることもあります。ただし一度お供えしたものは、他の廟で再度使用してはいけません。
彰化県を訪れた際、市街地にいくつも百姓公廟を見かけました。百姓公とは、有應公や萬善公の別名です。なぜこんなに百姓公廟があるのか、とある廟の方に教えていただきました。
それによると、昔は平埔族(平地に住む先住民族)の風習により、遺体は墓地などには葬らず、そこら中に埋めていたそうです。そのため近年建物を建てるために土地を掘ると、人骨が出てくることがままあり、その供養のために百姓公廟に持ち込まれるとのことでした。実際以前行われた調査により、百姓公廟に納められている遺骨の多くが、平埔族のものであると判明しています。
祟られることが心配な場合は、百姓公廟をお参りしても名前を名乗らなければ大丈夫だそうです。特に田舎の方へ行くと、地元の方は日常的に百姓公をお参りしています。
私が初めてお参りした陰廟は、台中にある大里杙七将軍廟です。七将軍廟には七将軍や犬神が祭られています。この廟をお参りした際、陰廟という認識は全くなく、すぐそばにある大里杙福興宮をお参りしたついでに立ち寄りました。
その後知り合いから、七将軍廟は陰廟であると知らされたのです。正直なところ、外観からは全く見分けがつきません。ちなみにこの七将軍廟は 、"失くしもの" を探す際に非常に霊験あらたかだと言われています。
陰廟をお参りし願い事が叶った際は、必ず御礼参りに訪れないといけないと言われています。つまりお願いごとをかなえてもらう代わりに、それなりの代価を約束するということです。この約束を破ると、なにか良くないことが起こるかもしれません。
実際陰廟へお参りに来る人の中には、「求明牌」の人も大勢います。求(問)明牌とは、宝くじの当選番号を尋ねることです。陰廟だけではなく、陽廟の中にも求明牌で人気の廟があります。
台湾には大家樂と呼ばれるロト6に似た違法な宝くじがあります。合法な威力彩や大樂透なども売られているのですが、裏社会が発行するくじは税金がかからない分当選金額が大きくなります。昔はこれにはまり、破産をする人が後を絶たなかったそうです。さらに神様に尋ねた結果が外れたことにより、廟の神像を壊したり、私廟の神像を捨てる人たちも大勢いました。
大家樂は近年鳴りを潜めたように見えますが、庶民の間ではまだまだ隠れて購入されています。日本人からすると、神様がそのようなことを教えてくれるはずがないと思うのですが、台湾ではどうもそうではないようです。
写真は廟巡りをしていた時、通りがかりに見かけた廟です。廟の前では普通に金紙が売られており、何の気なしにお参りに立ち寄ったところ、実は陰廟でした。そうなると売られているものは金紙の中でも、「銀紙」になります。
お供えする金紙について
陽廟と陰廟では、お供えする金紙が異なります。陰廟で使われるものは、銀紙とも呼ばれます。 金紙は神様に送る「手間賃」のようなものですが、日本人からするとなかなか理解しがたい部分もあるでしょう。
日本人は私も含めて、神社やお寺をお参りしてもお賽銭は小銭程度で、神社に寄付する人などほとんどいません。
しかし台湾人は、廟により多くのお金を落とすことで、神様よりそれ相応の見返りがあると考えており、莫大なお金が廟に寄付されています。そのため、大きな廟では内部の利権争いが激しく、裏社会の人間が関わる廟も多くなっています。
ほとんどの廟では、入口近くに金紙が積まれています。写真は陽廟用の金紙です。多くの廟では、「気持ち」をお賽銭箱に入れる仕組みになっており、価格が明示されている場合はその金額を入れましょう。だいたい50~100元です。
大きな廟になると、廟内の売店で売られているケースもあります。金紙は複数種がセットになっていることが一般的です。
陽廟でよく供えられる金紙です。左下は四方金と呼ばれ、陽陰共通で使われます。
購入後は神様の前のテーブルに置き、お参りを終えた後、外の金爐で燃やし神様のもとに送ります。
これは陰廟用の金紙、いわゆる銀紙です。陽廟の金紙とは種類が異なります。陰神だけではなく、亡くなった身内や先祖に対しても銀紙を使用します。沖縄で使われる「うちかび」と似ていますね。
陰廟でよく供えられる銀紙です。左上は「更衣」と呼ばれ、怨霊たちが交換するための衣服などが描かれています。銀紙は陽廟での金紙と同じようにお供えしますが、正神(陽神)と同じ金爐で燃やしてはいけません。
このように実際の紙幣を模した金紙も存在します。写真は陰廟用であり、陽廟用も売られています。こうした新しいタイプの金紙は、廟内部ではなく外部の金紙店などで売られていますが、廟の人にとっては、やはり廟内で購入してもらいたいという思いがあるようです。
陰神からの昇格
こちらの地蔵庵では、真ん中に地藏王菩薩、向かって左に城隍爺、そして右側に大衆爺が祀られています。廟をある程度知っている人なら、あれ?と思うかもしれません。なぜなら陰神である大衆爺が陽廟内に祀られ、しかも城隍爺より上の位置にいるからです。
これは、もともと陰神であった大衆爺が正神に昇格したことによります。廟の隣の建物には百姓公も祭られていました。大衆爺も百姓公も誰からも祭られない怨霊という点では同じですが、陰神としての地位は大衆爺の方が上です。
台北龍山寺近くに位置する艋舺地蔵庵の隣にある大衆爺廟です。名前から陰廟だろうとお参りは避けていたのですが、廟の方から「うちは陰廟ではないよ」と説明いただきました。もしかすると、こちらも昇格したケースなのかもしれません。
さらには大衆爺だけではなく、有應公が正神に昇格し、土地公や城隍爺などの正神になったケースもわずかですが存在しているようです。
大衆爺による遶境が行われることもあります。一般に「新莊大拜拜」と呼ばれ、旧暦5月1日に大衆爺の誕生日をお祝いし、新莊地蔵庵にて行われる遶境です。こちらの大衆爺も正神に昇格しています。ちなみにこの遶境は、喧嘩が多いことでも有名です。
陰廟と間違えられやすい廟〔一〕
※嘉邑城隍廟(嘉義市)
よく陰廟と間違えられるのが城隍廟です。城隍爺は地獄の裁判官との異名を持ち、好兄弟の親分とも言われているので、そう思われるのも仕方がないのかもしれません。ちなみに城隍爺には陰陽司公などの部下がいます。
他に地藏王菩薩を祀る地藏庵があります。日本では子どもの守り神である「お地蔵さま」も、道教では地獄の世界の大ボスだと信じられています。そのため陰廟のような認識を持つ人もいるようです。
こちらの萬善祠では、真ん中に地藏王菩薩や城隍爺、包公が、左右に百姓公、百姓媽がまつられています。陰陽が混合している廟ですが、もともと陰廟だったものの、のちに地藏王菩薩や城隍爺を迎え入れて、陰陽が混合した陽廟となったケースだと考えられます。
ちなみに包公は、清廉な役人として知られた包拯であり、中国では人気の高い歴史上人物として、包青天というタイトルで何度もドラマ化されています。そんな包公も神様となった後は「地獄の管理人」をしていますが、陰神ではありません。地藏王菩薩、城隍爺とならんで人気の高い、地獄を管轄する神様と言えるでしょう。
地獄にかかわる神様には、ほかにも城隍爺の上司にあたる東嶽大帝や鄷都大帝、十殿閻羅などが存在しています。東嶽大帝は冤親債主(前世において恨みをかったものの亡霊)を救い出す超拔や打城といった儀式を司ります。
また城隍爺や地藏王菩薩には、獄卒の牛頭馬面将軍や謝范將軍(七爺八爺)という部下がおり、遶境などでもその姿を見ることができます。
台湾南部で人気の高い王爺も、もしかすると陰神と誤解する人がいるかもしれません。なぜなら王爺とはもともとは疫病神であり、海を越えて疫病を連れてくると信じられていたからです。
それが転じて疫病を追い払う神様へと変わり、疫病がなくなった現在では厄災を取り払ってくれる神様としてあがめられるようになりました。
※送肉粽での鍾馗(三立新聞より)
さらに日本でもなじみのある鍾馗という神様。京町家などで見かけたことがあるかもしれません。台湾で祀っている廟はそれほど多くはないのですが、邪気を取り払い、悪霊を退散させる、魔よけの神様として人気があります。現在でも、邪気を取り払うために行う「跳鍾馗」や恐ろしい「送肉粽」という儀式では、鍾馗の扮装をした道士の姿を見ることができます。
「送肉粽」のイメージが強いせいか、個人的にどうしても陰神のようなイメージがぬぐい切れません。ちなみに大甲媽祖遶境進香の復路で立ち寄る水尾震威宮に祀られています。
地区の守り神である土地公も、死者の魂を死後7日目にこの世へ連れて帰るという役割を担っています。そのため、土地公は半陽半陰であると考える人も存在しています。
陰廟と間違えられやすい廟〔二〕
彰化県南部の方に行くと、写真のような廟を時折見かけます。一見するとちょっと変わった建物の廟のようですが......
中に入ると、このように墓石のような石碑が安置されています。見るからに陰廟のようですが、これは「阿彌陀佛碑」と呼ばれるこの地域独特のもので、水害などから地域を守る仏様に感謝し、邪気を払うために設置されています。
つまり阿彌陀佛碑は陰廟ではなく、沖縄でよく見かける写真の「石敢當」のようなものにあたるのかもしれません。
道端に石が祀られていたら、それが台湾の石敢當です。これは魔物をよけたり、邪気を払ったりするためのものなので、陰廟ではありません。日本では石敢當を拝むことはありませんが、台湾では水や線香などがお供えされています。
石敢當とよく似ていますが、ここは石頭公(石佛公)という「石」を祀る廟になります。多くは大樹公と呼ばれる「大樹」とともに祀られています。
石頭公や大樹公をネットで調べると、陰廟であるという意見をよく目にします。正神を祀っていない廟はすべて陰廟である、という考えに基づいているようであり、そこでいろいろと調べてみました。
私なりの結論は、陰廟ではないと考えています。石頭公も大樹公も厳密に言えば、道教ではなく大自然を崇拝する民間信仰に分類されるからです。
石や大樹に宿る自然の生命力が、病気治癒や子どもの成長を守る力をもたらすと考えられ、石敢當のような邪気を払う効果もあるようです。日本の神道のような自然崇拝が、台湾にもあるのですね。
山の方に行くと、写真のような石頭公に似た「石棚」を見かけることがあります。山中で見かけるとすこし不気味な感じもしますが、これは三粒石(石棚式)の土地公廟です。もともと土地公廟はこのような形で祀られ、のちに多くは祠や廟へと変貌していきました。
山の中では、魔神仔と呼ばれる背の低い毛むくじゃらの悪霊が出没しやすいと言われていますので、同行者に子どもや老人がいる場合は特に、安全をお参りしておいた方がいいかもしれません。
これは鹿港周辺でよく見かける祠です。竹符に紙で作られた馬、あまり見かけたないタイプの祠ですが、これは五営将軍の中でも外五営と呼ばれるものです。村や集落を守るための祠として設置されています。
竹(符)と旗だけが祀られているシンプルなこの祠も、ちょっと近寄りがたい感じがしますが外五営の一種です。
外五営には祠がなく雨ざらしになっているタイプも時折見かけます。
これは金門島で見られる「風獅爺」です。独特な風貌をしていますが、陰神ではありません。
もともとは北東から吹き付ける強風による被害から集落を守るため、主に島の東部の集落内に設置されました。風獅爺には邪気を取り除く力もあり、中には金運アップに力を発揮するものも存在します。
金門島の金沙や金湖地区には、「風獅爺」探しを目的に訪れる旅行者も多いようです。
陰廟と間違えられやすい廟〔三〕
※麻豆代天府地獄めぐりの建物
陰廟ではありませんが、地獄めぐりを体験できる廟がいくつかあります。例えば台南北部にある麻豆代天府、高雄の蓮池潭ほとりにある慈濟宮、彰化の八卦山南天宮、北部では台北金剛宮などです。
特に麻豆代天府の地獄めぐりは、そのいい感じの古さ加減からぞぞっとくるものがありました。
しかし私が一番不気味だと感じた廟は、陰廟ではありませんが、南投県にある名間萬丹宮です。この廟では、廃棄されたり、廃廟となり引き取り手のない仏像や神像を引き取り祀っています。その数は六千以上にものぼるそうです。もしかすると、大家樂の求明牌のせいで廃棄されてしまったのかもしれません。
廟公が亡くなり、現在は有志の方によって管理がされています。私が訪れた際には廟の門が閉ざされており、あきらめて帰りかけた時に有志の方が来て扉を開けてくれました。そのせいか廟の内部がまだ薄暗く、ひと際不気味に感じられたように思います。
鬼や佛の人形の頭だけが祀られた祠。見たところ非常に不気味な感じがしますが、これも先に紹介した五営将軍の祠の一種です。人形は五営頭と呼ばれています。
とある山の上で小廟を見かけ、お参りに立ち寄ったところ、中には「わら人形」が鎮座していました。入った途端に目が合い、思わず声が出そうに... 昼間だったのが不幸中の幸いです。
見たところ、「替身」のための「草人」に似ています。草人は一般に人の身代わりとなり、病気や悪運を背負うものとして、祭改や収驚などの儀式で使用されます。しかしそれがなぜ廟の中に神様として祀られているのか、知り合いに尋ねてみましたが、結局分かりませんでした。
その後ネットで検索をしていたところ、宜蘭地区にまったく同じように紙の面をつけた藁人形が祀られている五営将軍の祠がいくつか存在していることがわかりました。写真の小廟は南投県で見かけたものですが、これも五営将軍の一種なのかもしれません。
のちに新聞報道で、これは南投鳳山地区に残る伝統である鳳山寺の五営将軍「稻草將爺」であることがわかりました。黄色面なので「西営」になります。
鬼月について
怨霊と密接に関係ある季節が鬼月です。台湾では、鬼月と呼ばれる旧暦7月には鬼門(あの世の扉)が開き、祖先の霊や好兄弟と呼ばれる怨霊たちがこの世に戻ってくると言われています。
と、様々な媒体ではこのように鬼月の説明がなされているかと思います。ただ台湾現地で鬼月を過ごしていると、この説明には違和感を覚えます。なぜなら、日本のお盆のように祖先の霊が帰ってくるという感覚がないからです。台湾人の知り合いたちに聞いてみても、やはり祖先の霊が帰ってくるという認識はなく、ニュースなどをみていても同様に、好兄弟のことしか触れられません。また「拜拜」なども好兄弟に向けて行われます。ただ地域によって違いがあるかもしれません。
そこで調べてみると、Wikiに以下のような説明がありました。
『中国の閩南地域や台湾一帯では、旧暦七月を鬼月と呼びます。鬼月の初日には鬼門が開き、三十日に閉じます。鬼月の一日、十五日、三十日には、盛りだくさんの食事をお供えし、無縁仏を拝みます。閩南地域の人たちは、無縁仏の霊が入り込むことを恐れ、旧暦の七月には結婚式などのお祝い事はしません。鬼月という呼び方は閩南地域発祥と言われています』
『台湾では、中元節は重要な祭日です。政府機関や企業、一般家庭、廟などを問わず、旧暦七月一日から三十日の間には、この世に遊びにやって来た「好兄弟」の霊を慰めるため、また一年の平安無事を祈るために、祭祀がとり行われます』
台湾で主に先祖を拝むのは清明節であり、台湾全土で一斉にお墓参りが行われます。また各家庭には龕(仏壇や神棚)があり、先祖の位牌もそこに祀られ日常的に拝まれています。さらに台湾では一般に、亡くなった人たちの霊は再びこの世に生まれ変わるとも考えられています。
つまり私の認識での鬼月は、鬼門(地獄の扉)が開き、お腹をすかせた好兄弟たちがこの世に戻り悪さをするというものです。そのため、鬼月にはさまざまな霊現象や不可思議な事故が起こると言われています。
霊には、成仏できずにいる人間の怨霊が「好兄弟」、山や水辺で悪戯をする小柄で毛むくじゃらの悪霊が「魔神仔」、河や海で亡くなった後、水の中に棲みつき身代りを求めて(抓交替)人を引きずり込む「水鬼」などがいます。ただすべてを総称して好兄弟と呼ばれたりしています。
西洋のハロウィンでは、先祖の霊とともにやってくる悪霊を仮装することで追い払いますが、東洋の道教では反対にもてなすなんてなんだか面白いですね。
鬼月には、建物前に肉料理などのお供え物をならべ、好兄弟たちが悪さをしないようもてなします。(写真は民視新聞より)
特に旧暦7月15日の中元節には、多くの廟などで中元普渡の儀式が行われます。神様は午前中に、先祖はお昼に、そして好兄弟は午後に拝みます。
写真は中元普渡の儀式のお供え物です。鬼月には、廟や住居、企業、店舗の前などで拜拜を見ることができます。
ただし地域によりその頻度は異なり、鬼月の初日、中元節、最終日の三日間行う地域、主に中元節だけ行う地域、鬼月の一か月間毎日行う地域などさまざまです。中でも基隆で行われる鷄籠中元祭は有名です。
鬼月に行われるイベントは、次のリンク先ページが参考になります。(中国語)
これは毎年話題になるスーパー全聯の中元節のCMです。「魔神仔」「紅衣女子」「水鬼」の順番で流されます。面白いのでぜひ見てみてください。好兄弟をちょっと美化し過ぎだとは思いますが......
ということで、台湾で鬼月になにかおかしな事故や事件が起これば、とりあえず好兄弟の仕業にしておけばOKです。なんだったら鬼月以外でも、なにか変わった事が起こった時は好兄弟のせいにしておきましょう。濡れ衣を着せられる好兄弟はちょっと可哀想ですが、それで話は納得されます。
台湾の道を歩いていると、道路や橋の上、また山奥などに金紙が置かれていたり、撒かれたりしているのを見かけたことがあるかもしれません。それは好兄弟に手渡す「過路金(費)」と呼ばれる通行料のようなものになります。
日本では?
※東京神田に位置する神田明神
日本では仏教でも神道でも、寺社に「陰」と「陽」の区別はありません。ただ祟りを鎮めるといった点では、日本にも似たようなケースがあり、それは御霊信仰と呼ばれます。
九州にある太宰府天満宮は、天神様として名高い菅原道真公を祀っていますが、もともとの目的はその祟りを恐れ、道真公の鎮魂のためであったと言われています。
東京に位置する神田祭で有名な神田明神には、平将門命が祀られています。もともとは将門の首塚を作ったことで、さまざまな厄災がこの地を襲うようになり、将門の祟りをおさめるために祀られたことが始まりだと伝えられています。
余談ですが、台湾人旅行者が日本を旅行する時、神社やお寺の厳かな雰囲気を逆に「陰」だと感じることがあるようです。高野山や熱田神宮の参道など、あの神聖で心が洗われるような雰囲気を、逆に「陰」の氣に満ちていると感じるとは、国が違うと感じ方も違うものですね。
逆に日本人にとって、神社や寺院とは本来静寂に包まれ心静まる場所でもあるので、龍山寺よりも、行天宮の雰囲気の方がしっくりくるかもしれません。私も行天宮へお参りに行くと心が安らぎます。
無縁仏信仰について
無縁仏信仰(孤魂信仰)について、ウィキペディア(中国語)の内容を簡単に紹介させていただきます。
無縁仏信仰(孤魂信仰)は、東アジアにおける民間信仰です。天災や戦争、虐殺、動乱、疫病により亡くなった人、無実の罪で殺された人、犯罪者、交通事故などによる犠牲者、後継ぎがいない死者、幼くして亡くなった人など、こうした死者たちの魂を祭っています。
供養する人がいないことで祟りをもたらすと信じられ、この信仰が徐々に形成されていくことになります。もともとは閩南人や客家などの移民により台湾に伝わり、のちに台湾の民間信仰となりました。
陰に関わる神様を祀っている城隍廟、地藏庵、東嶽殿、閻羅宮などは「神様」を祀っており、陰廟ではありません。両者はまったく違うものなので、混同しないように注意しましょう。
無縁仏は、地域や性別、埋葬の方法などにより呼び名も変わってきます。例えば以下のようなものがあります。
有應公、有英公、金斗公、百姓公、萬姓公、萬應公、萬善公、萬善爺、萬善同歸、無嗣陰公、地府陰公、水流公、水流媽、大眾爺、大眾媽、眾人公、眾靈公、大塚公、大墓公、聖公、聖媽、もしくは某姓公、某姑娘、某仙姑、某仙女、某先生などです。
福建省や台湾では、有應公、萬應公、萬善爺、大眾爺の呼び名が一般的に普及しており、台湾ではほかにも好兄弟と呼ばれたりしています。
古代、地位の高い人物が無実の罪で亡くなると、死後は神様とみなされ、有應公(無縁仏)とはされませんでした。また亡くなった後、皇帝や朝廷などから称号を与えられた人たちも有應公からは除外され、神様となりました。
中国の民間信仰では、誰からも埋葬されず、供養もされない死者、当時の宗教制度により未婚のまま亡くなった女性、事故や事件などで亡くなった人は、怨霊と見なされました。怨霊たちは成仏することができず、供養を必要としており、また復讐を行うと考えられていたことで、人々は恐れおののきました。そのため、国や地域社会が、まとめて埋葬、供養し、怨霊を慰めることで、人々に平静をもたらしました。
歴代の皇帝は、この無縁仏信仰に対する姿勢を決めかね、時には奨励し、時には弾圧しました。また最近の調査により、台湾における無縁仏を祭る廟の多くでは、先住民族である平埔族の遺骨を祭っている可能性が高いことが判明しています。
平埔族はもともと平地に住んでおり、弔いの方法が漢人とは異なっていため、漢人が開拓時に、しばしば身元の分からない遺骨を掘りあてたことによります。無縁仏の祭祀については、多くは遺骨が発見されたり、事故や事件が起きた場所に小さい祠、すなわち陰廟を建てて供養を行いました。
一般的に、陰廟の多くには扉がなく、門神もいません。扉上方の横木に赤い布が掛けられ、一部の廟では「有求必應」の文字が書かれています。屋根の装飾も一般的な廟とは異なります。
祭祀の後には、銀紙や亡霊用の金白銭などを燃やし、紙のお金を燃やすための炉は「銀炉」と呼ばれます。無縁仏信仰が広まるにつれ、廟の建築様式もさまざまに変化し、中には一般の廟と変わらない建物や、さらにはおみくじや乩童がいる陰廟まで存在します。
有應公の中には、数々の奇跡を起こしたことで正神に昇格し、地域の守り神になったケースも存在します。また台湾での習俗として、大病を患い入院する人は、入退院時、病院前に「香案」を設置し、病院内の無縁仏を拝み、その加護に感謝をします。さらには病院周辺に廟を建てることもあります。
台湾では、幼くして亡くなったり、未婚のまま亡くなった女性は、姑娘廟もしくは娶神主に祭られます。庶民の間において、無縁仏を祭る祭事の多くは、旧暦7月の中元節に行われます。醮祭の最終日には、無縁仏を導く儀式が行われます。
陰廟でのタブーについて紹介します。台湾の民間信仰では、一般的に日没後に陰廟をお参りすることは、タブーとされています。ただし博打や違法なことについてお祈りする場合はその限りではありません。
もし陰廟でお願い事をする場合は、平穏無事を祈るケースなども含めて、後日願いが実現した時には、必ずお礼参りに訪れなければなりません。その際は必ずお供え物を準備します。線香を寄進したり、演劇団を招いたり、廟の改築に寄付をするといった方法でも構いません。
最後に
陰廟は特別な目的がない限り拝んだりはせず、もしお参りする際は、十分その性質を理解した上で訪れて下さい。特に老人や子ども、病気の方や心身が弱っている方は、注意された方がいいでしょう。
台湾に伝わる怖い言い伝えとしては、台中の「紅衣小女孩」や「幽霊船」、そして恐ろしい風習として、「冥婚」や「過運」の紅包、彰化の「送肉粽」、ほかにも「養小鬼」、「觀落陰」、「超拔(打城)」などが現代でも残っていますので、興味がある方は調べてみてください。
ちなみに「送肉粽」が行われる際は、新聞やテレビのニュースで場所と時間が報じられ、その時間は決して近づかないようアナウンスが流れます。
もし良くないものに憑りつかれた可能性がある場合は、陽廟に行き収驚を受けましょう。それでもダメな場合は、廟公と相談の上、祭改を行ってください。
道端に赤い封筒が落ちていても、くれぐれも拾わないように......
このブログでは、 毎年台湾で数十万人が参加し、最大の盛り上がりを見せる道教巡礼イベント「徒歩進香」を紹介しています。信徒でなくても、旅行者でも気楽に参加できます。
道教や廟に興味がある方、ウォーキングや賑やかなイベントが好きな方は、ぜひ一度参加してみてはいかがでしょうか。台湾のことがより好きになると思います。
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