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徒 歩 進 香[巡 礼]

ハマるぞ台湾!道教文化

[道教祭り]台南遶境レポート

 

 

街中で時折見かけるにぎやかな道教のお祭り 遶境 に参加してきました。これまでも何度か隊列の後について歩いてきたのですが、やはり他のみなさんと同じ帽子をかぶりシャツを着て、メンバーの一員として役目を担い歩いてみたいと感じるようになりました。

 

 

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これまでも遶境と一緒に歩く徒歩イベントや、よくお参りに行っていた廟の主催する遶境のメンバーとして参加したことはありました。とはいっても、一緒に歩きながら少しお手伝いした程度のものです。

 

今回はしっかり役目を負って遶境に参加してみようということで、申込から参加、そして実際歩いた時の状況まで、写真を交えて紹介させていただきます。

 

 

※ 遶境ってなに?という方は、こちらへ ※


 

[目次]

 

 

概要

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【鹽水護庇宮 歳次戊戌年南巡卅六庄香科】

 

主催廟:鹽水護庇宮

期間:5日間

時期:通常の遶境以外に、より広い範囲の地域をめぐる北巡と南巡を不定期に実施。南巡は12年ぶりの開催。

参加費:なし(ボランティア)

移動距離:約150km

特徴:300年以上の歴史を有し、鄭成功ともゆかりのある古刹。福建湄州朝天閣から分霊された媽祖を祀る。

住所:台南市鹽水区中正路水正里16鄰140號

アクセス:護庇宮バス停すぐ(新営駅からバスで約25分)

Google マップ

 

 

申込

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今回の遶境ボランティアメンバーの募集は、徒歩進香仲間からの情報で知りました。画像の内容は「いついつ遶境をやるので、遶境メンバーとして参加いただけるボランティアを募集します」というものです。遶境のこのような募集は、進香に比べかなり少なくなっています。なぜなら遶境のほとんどは、地元の信者や友好廟からの応援、走路工や紅陣頭と呼ばれるイベント参加のアルバイトでまかなわれているからです。

 

ただ参加するにあたり、当初かなり迷いました。なぜなら屏東県で三年に一度行われる焼王船で有名な「東港迎王」と日程が被っていたからです。進香仲間らは、みな東港に行くことを決めていました。それでも鹽水という街が好きだったこと、そして役目を担った遶境参加というシチュエーションに興味があり、今回は鹽水護庇宮を選びました。

 

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主催廟は鹽水護庇宮(別名:月港護庇宮)、媽祖を祀り、鹽水烽炮で有名な鹽水武廟のある台南市鹽水区に位置しています。今回の遶境について検索してみましたが、メンバー募集に関する情報は全く引っかかりませんでした。おそらくあまり表には出していないのかもしれません。

 

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事前に廟へ連絡し担当者の方に詳細を尋ねました。それから少しして、新営太子宮で進香期を見物した帰りにお参りに訪れ参加申込を済ませました。私のような地元ではない外部からの参加はやはり少ないようです。

 

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廟の受付では、名前、連絡先、参加したい日程を伝え、帽子とシャツを受け取りました。そして待ち合わせ場所、担当する役割、夜の就寝場所等について確認を行い、当日お世話になる団長さんと顔合わせをしました。他に申し込んだ人がいないせいか、受付を完了するまで相当骨が折れました。

 

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鹽水護庇宮は湄洲媽祖を祀り、長い間この地を見守ってきた歴史ある廟です。いまでこそ大分寂れてしまっている護庇宮ですが、非常に歴史のある廟の一つです。台湾には昔の資料があまり残っていないため定かではありませんが、台湾本島に現存する廟の中では最も長い歴史を有する廟の一つかもしれません。 

 

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写真のようにすでに遶境の準備が始まっていました。鹽水はこじんまりとしていますが、いい雰囲気がただよい、とても好きな街のひとつです。

 

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昔は「一府二鹿三艋舺四月津(一台南、二鹿港、三台北、四鹽水)」と言われていたように、この鹽水の街が栄えていた当時が偲ばれます。

  

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遶境は五日間の日程で、鹽水周辺の町や村を広範囲に巡行します。距離はそれほどではなさそうですが、深夜までの行程もあり、時間的にかなり大変そうな印象です。

 

今回は五日間の内、休みの関係から三日目と四日目の二日間のボランティア参加を申込みました。

 

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申込から数日後、遶境のために設置された鹽水護庇宮のゲートを大型トラックがぶち倒したとニュース報道されていました。

 

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そしてなんと再び台風が台湾に向かっており、当日果たしてどうなるのか、天気予報を注視する日が続きます。

 

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フィリピン上陸後勢力を弱めながらも、もはや完全に狙いに来ています。

 

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そこで雨対策用にサンダルとカッパを新調し、当日に臨みました。普段履いていたクロックスもどきのサンダルでは、長距離を歩く上でどうしても耐久性に問題があるため、値は張りますが結局本物に戻りました。

 

 

参加初日

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当日は朝5時半集合と言われていたため、前日夜に現地入りをしました。朝から雨がぱらつき、気温は21度と肌寒く感じます。5時過ぎに護庇宮に到着すると、まだ誰も集まっていません。

 

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出発地点まで送迎してくれるバスが来ました。しかし乗り込んだのは私一人。そこから車で15分程度の場所にある本日のスタート地点に向かいます。

 

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スタート地点となる廟ではぱらぱらと遶境メンバーが集まり始めています。早速先日挨拶をした団長さんの姿を探します。

 

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設置されたテントの中では簡単な朝食が準備されていました。

 

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6時近くになると人も増え始め、いよいよ出発です。しかし私が担当するはずだった「擔馬草水」の道具が準備されていません。ボランティアが必要との要請に応募しても所詮こんなものです。

 

これに限らず今回のイベント全体を通して、ボランティア参加者に対する扱いの悪さが際立っていました。神様への奉仕とはいえ、これでは人が集まらないのも当然かもしれません。実際廟の関係者以外はほぼ日当が出ているので、わざわざボランティアに申し込む人などいないようにも思います。

 

遶境イベントの中には、ほぼボランティアだけで実施されているものもあります。ただそれは、信仰心に篤い信者が多い廟に限られるのでしょう。

 

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「擔馬草水」とは、このように神様の兵馬の食事となる草や水を載せた天秤を担ぐ役割です。

 

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同時にボランティア募集されていた「天地掃」です。結局見かけたのは擔馬草水1名と天地掃2名だけでした。

 

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本日の遶境には鹽水護庇宮以外に20の友好廟から神輿が参加しています。最終日には100近い廟が参加するようです。

 

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各廟の神輿が続々と出発していく中、手持無沙汰の私は、仕方なく最後の神輿と一緒に歩き始めました。神輿は車輪のついた台車にのせて引っ張る山車のようなタイプです。

 

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小雨が降ったりやんだりするあいにくの天候の下、遶境の長い隊列が進みます。至る所で爆竹と花火が鳴り響いています。

 

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せっかく来たのにやることもないので、団長さんと神輿グループの方に了承いただき、神輿を引っ張るグループに急遽仲間入りをしました。

 

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本日の遶境は農村地帯の村々をめぐります。普段見る機会の少ない古い家並みが続いてます。神輿はかなり重量があるため、数人で引っ張っていもかなり大変です。

[護庇宮遶境] https://t.co/aO7jxHoeUa

 

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村々では多くの住民の方々が「擺香案」(家の前テーブルを置き、お供え物や線香を供えたり、金紙を焼いたりする)をして神輿の到着を待っていることに驚きました。こうした田舎の村に遶境が来ることはまれなため、それだけ貴重な機会なのかもしれません。

 

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道の所々に写真のような袋に入った服が置かれ、その上を神輿が通過していきます。これによりその服の持ち主の健康や幸運を祈願する意味合いがあるそうです。 

 

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神輿は途中途中で廟に立ち寄り、お参りをして、お供え物を受け取ります。少し青空が見え始めていますが、小雨が降ったりやんだりという天気が続きました。

 

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立ち寄り先の廟にはこのような「香條」が事前に貼られ、遶境や進香の到着を信者の方々にお知らせします。

 

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家並みが途切れると、車に乗りワープします。始まってから何度も隊列が止まり、路上で待たされる時間が非常に長く、午前中ですでに2時間以上予定から遅れています。

 

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次の目的地である廟から乩童が出迎えに来ました。今回の遶境では多くの乩童を見かけましたが、いろいろなタイプがいて興味が尽きません。

 

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今回のような村々を練り歩く遶境では、派手なことはほとんどなく、とにかく農村地帯を歩いて、途中廟にごく短時間立ち寄りお参りするだけです。しかし地域の人たちにとっては非常にありがたいことなのかもしれません。

 

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村の至る所で線香を手に持ち神輿に乗る神様を拝み、金紙を焼く人たちを見ると、信仰心の強さを感じます。神輿を引っ張っていると、なかなか写真を撮ることができないのがつらいところです。

 

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途中、鹽水護庇宮の神輿から、角頭廟の一つである友好廟の神輿へ助っ人として移りました。媽祖から玄天上帝の付き添いへと異動です。

 

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農村地帯をどんどん奥へと入っていきます。普段決して来ることのないようなのどかな場所です。神輿の前を進む涼傘の後ろをひたすら歩きます。

 

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昼休憩ポイントとなる廟に到着しました。この時点ですでに予定より3時間以上遅れています。

 

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食事休憩のテントに行くと、食事はほとんど残っていません。そこで近くにあった村の小さなお店でパンを購入し飢えをしのぎました。

 

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ここに来てようやく遶境の隊列の一部を見ることができました。遶境にメンバーとして参加すると、隨香という立場とは違い、自由に前後に移動することができません。それにより行列の全体を見る機会はほとんどありません。ただ前をあるく涼傘の背中を追うのみです。

 

こうした点から、道教文化を楽しみたいという目的の人にとって、陣頭のメンバーや地元の信者、また雇われて来た人たちとは違い、単調さを感じることになると思います。ずっと同じ背中を見ながら神輿を引っ張るだけなのですから。それでも神様や地域の信者の方々への敬意は決して忘れません。

 

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日も落ち辺りが暗くなっても、ただ黙々と歩き続けます。神輿を引っ張る手にだんだんと力が入らなくなってきました。

 

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夕食休憩となる廟に到着しました。出発の時間が全く分からないため、急いで食事を済ませます。ここでは廟ごとにテーブルを分けて食事が準備されていました。

 

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辣妹によるセクシーダンスが行われていましたが、残念ながらゆっくり見ているヒマはありません。

 

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あたりが暗くなると神輿はライトアップされます。道路脇からライトアップされた神輿の行列を見物すると奇麗だろうなあとは思いますが、当然中の人が見ることはありません。

 

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夕食後、神輿の場所に戻るとその姿が見えません。隊列の先頭から一番後方までを何度も行ったり来たりしましたが、どうしても見つかりません。その途中見知らぬスクーターに乗ったおばさんから前の方に行ったよと声を掛けられました。そこでふたたび前の方に戻りますが、やはり見つかりません。

 

そんな時後ろから歩いてくる廟の涼傘を見つけホッとしたのもつかの間、その後ろに神輿の姿はありませんでした。話を聞くと、神輿を載せた台車がパンクして修理中とのことでした。神輿が追いつくのを待ちながら、同じ背中の後ろを黙々と歩き続けます。それにしてもあのおばさんは一体誰だったのでしょうか。

 

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予定より大幅に遅れ夜遅くなっても、こうして神輿の到着を待っている人達が大勢います。

 

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廟が準備した飲み物だけではなく、住民の方々もこうして路上で遶境メンバーに飲み物を提供しています。

 

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時間も遅くなると、民家がないところでは車で神輿を引きながらワープすることが増えてきました。

  

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深夜1時を回りようやく目的地である新営の街に到着しました。ここでも廟の周辺地域を練り歩きます。深夜でも住民の方々は金紙を焼き、熱心に神輿を拝んでいます。

 

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そして午前2時、本日のゴールである新営太子宮にやっと到着です。本当にやっとという感じでした。写真にはうまく映っていませんが、ライトアップされ非常に美しい姿で我々の到着を待っていてくれました。

 

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しばらくして鹽水護庇宮の神輿も到着し、本日の行程は終了です。みなさん遅くまでお疲れさまでした。一日だけの参加にして早めに帰ろうかと考えていましたが、廟の方から翌日の応援もお願いされ、急遽残ることに決めました。

 

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深夜の夜食タイムです。こうして食べてばかりいるから、歩いているのに逆に太っていきます。

 

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幸い新営太子宮の香客大楼の一室で休ませていただけることになりました。シャワーを浴び足をケアし寝る準備を整えた頃には、すでに3時を回っていました。翌朝は5時半集合です。

 

 

二日目

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朝4時半に起きて5時過ぎに廟に行くと、まだそれほど人は集まっていません。昨晩は1時間ほどしか眠れていないので万全とは言えませんが、二日目も頑張って神輿を引っ張ります。

 

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朝食を食べていると、ぞろぞろと重い身体を引きずり参加者が集まってきました。太子宮は鹽水から車で数分程度の場所にあるので、多くの方は自宅に戻って休んだようです。

 

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隊列での順番は廟ごとに決められています。その順番がくるのを待って出発です。本日は30以上の廟から神輿が参加しています。

 

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神輿の引き手からの景色は前日と同じです。今日は街全体が霧に覆われています。

 

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本日最初の廟に到着しました。ここには三太子の父親である李靖将軍が祀られています。

 

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私が応援に参加した廟の神輿グループです。涼傘1名、神輿4名、まとめ役1名の6名で構成されています。涼傘1名と神輿の3名は「走路工」と呼ばれるアルバイトメンバー、プラス「志工」(ボランティア)である私1名という構成です。もともと私の持ち場は「工頭」と呼ばれる廟から来たまとめ役が担当しており、途中から私に交代となりました。他にも途中廟の関係者と思われる人が、スクーターで周りをちょろちょろしていました。

 

走路工の日当は役割や時間によって変わってきますが、高くて一日1万円、安いと3千円ぐらいと聞きます。神輿の担ぎ手など重労働の役割の方が必然的に高くなりますが、若い人たちは無報酬もしくはおこずかい程度というパターンが多いように思います。工頭の日当は通常分にプラスして、走路工の日当から中抜きした分が加わります。

 

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今日は早くからワープです。鹽水区のとなりにある新営区の街中までトラックで引っ張ります。霧が晴れ、青空が広がり、日差しも注ぎ始めました。今日は暑くなりそうです。天気がいい分心も軽くなりますが、当然ながら眠たさに変わりはありません。

 

今回分かったことは、神輿の引き手は持ち場から離れられず、廟に留まるということもないため、トイレポイントにかなり苦労します。そこで水分摂取をかなり控えていました。ちなみにほかの皆さんは普通にそこら中で立ちションしています。民家の庭先だろうとお構いなしです。女性メンバーはそうもいかないので、かなり大変だったろうと思います。

 

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神輿を引きながら青空の下を進みます。本日は新営の市街地を遶境ですが、昨日の農村地帯とはうって変わり、家の前で線香を持ち拝む人の姿はほとんど見かけなくなりました。田舎に行くほど信仰心が篤いのかもしれません。

 

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廟に着くたびに、このようなお供え物を受け取る儀式が行われます。もし立ち寄り先の廟に神輿があれば、お互いの神輿を上下に振って挨拶を行います。後がつかえているため、一つの廟での滞在時間は1分程度と短く、すぐに出発です。隊列が渋滞し動かなくなる原因はここにあります。

 

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ほかに特にイベントもなく、何かが起こる訳でもありません。ただただ神輿を引きながら歩くのみです。写真の玄天上帝の廟をお参りした後昼食休憩になり、トラックの荷台でお弁当をいただきました。

 

その頃には、新たに10人近くの廟の関係者が集まってきていたため、私はそこで神輿引きの任を辞し帰途につきました。さすがに寝不足と疲れから、電車に座ってすぐに爆睡でした。

 

2日間の合計歩行数は74,454歩、距離にして約52kmになります。重い神輿を引っ張っていた分だけ疲れはそれ以上ですが、今回は足はもとより腕の筋肉痛が残りました。

 

 

最後に

これは分かっていたことなのですが、遶境で役目を負うことは、隨香客として参加するのとは違い移動の自由がなく、景色も単調なため、イベントを楽しむという点では期待できません。特にボランティアとして役目を負い参加するには、信仰心だけが頼りになります。

 

さらに、ゴミのポイ捨て、檳榔吐き捨て、立ちション、民家侵入などのマナー違反はいつものことですが、こうした点以外にも今回の経験を通して、道教イベントに関わる人たちのもっと深い部分、一番大切な"信仰心"という点について大きな疑問を感じざるを得ませんでした。これは進香よりも遶境の方が顕著なように思います。

 

詳しくは書きませんが、ネット上ではこうした伝統文化からかけ離れつつある遶境や進香というイベントを、快く思わない人たちの意見をよく目にします。今回の遶境も例外ではありません。実際私もこのレポートを書く予定がなければ、きっと初日の途中で帰っていたでしょう。

 

後日護庇宮の方から連絡があり、遶境の成功を祝い、参加者の苦労を労う宴会へのお誘いをいただきました。参加を辞退する理由を聞かれたため、私が目にした酷い状況をお伝えすると、やはり同様のクレームが数多く入って来ていたようです。

 

私はこれまで多くの道教イベントに参加してきましたが、断トツのNO.1と言っていいぐらい本当に酷い状況でした。

ちなみに二番は、台中の某私廟で行われた小規模徒歩進香で、三日間の予定で参加しましたが、険悪な雰囲気のイベントとなり、私は二日目に下馬し、そのまま他の徒歩進香イベントへと移動しました。

 

今回の一件で完全に道教イベントへの参加意欲を失った私は、もともと予定していた阿里山山登りの徒歩進香への参加を取り止めることにしました。遶境だけではなく、徒歩進香への参加も、春の進香期までお休みすることを決めました。

 

 

 

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